出張先での雑記帖



京都
kyoto


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2017年 2月 4日(土) 京都(京都)

<ぶらり京都>

<三十三間堂>
1164年(長寛2)鳥辺山麗の後白河上皇・院政庁「法住寺殿」の一画に平清盛が造進しました。
約80年後に焼失してしまうのですが、すぐに1266年(文永3)に再建されました。
その後、室町・桃山・江戸そして昭和と4度の大修理により700年間保存されています。
長いお堂は和様の入母屋・本瓦葺きの「総檜造り」で約120m。
正面の柱間が33あることから「三十三間堂」と呼ばれ、
堂内には1001体もの観音像が祀られています。
「三十三」という数は、観音菩薩の変化身三十三身にもとづく数を表しています。

また見落としがちですが境内・南の通称「太閤塀」と呼ばれる築地塀と南大門は、
ともに豊臣秀吉ゆかりの桃山期の気風にあふれた重文・建造物です。



<妙法院>
延暦年間(782-805)に最澄によって
延暦寺三千坊の一つとして草創されたのが始まり。
その後、転々とし、この地に移ったのは元和元年(1615)。
明治維新まで代々法親王が住持され、
天明の大火の際は、
光格天皇の皇后が一時ここに行啓されるなど皇室との関係も深く、
文久3年(1863)に三条実美等7卿が長州藩と当院で密議を交わし、
ここから都落ちしたのは有名。



久しぶりにリフレッシュできました!



三十三間堂
正式名は、蓮華王院。
その本堂が「三十三間堂」と通称されます。
これは、東面して、南北にのびる
お堂内陣の柱間が33もあるという
建築的な特徴によります。


築地壁(太閤壁)
築地塀の築地とは「築き泥」の略。
仮枠を並べて中に土を層状に積み上げ,
乾燥後枠を外す,という方法で造られる。
中に定規筋と呼ばれる白い線を入れるようになり,
やがてその線は5本を最上として,
線の数がその社寺等の格を表すようになった。

5本の線は、皇室に対する,秀吉の「こだわり」

妙法院
皇族・貴族の子弟が歴代住持となる
別格の寺院を指して「門跡」と言うが、
妙法院は青蓮院、三千院(梶井門跡)
とともに「天台三門跡」
と並び称されてきた名門寺院である。

妙法院(大庫裏)
桃山時代の建築。
庫裏は寺院の台所兼事務所の役割
を果たす内向きの建物。
妙法院庫裏は、豊臣秀吉が先祖のための
「千僧供養」を行った際の台所
として使用されたと伝える豪壮な建物。
庫裏は屋根を切妻造とするものが多いが、
当院の庫裏は入母屋造

妙法院(宸殿)
阿弥陀如来座像と
歴代の天皇・皇后・中宮のご位牌が安置。